Dは1996年に出所した。2000年の取材時点で、東京都内の1DKのアパートで母親と暮らしていた。Dは職に就かず6畳の部屋にカギをかけて閉じこもっていた。母親は隣の3畳の台所で寝起きをしていて、親子の会話はほとんどなかったという。
記者「出所後、事件について話したことは?」 母親「一切話はしていないです」 記者「本人が話そうとしないのか?」
母親「私の方から話しかけないですし、孤立して隣の部屋で過ごしているので。ただ食事のときだけは『作ったけど食べる?』と聞いて持っていきますけど。亡くなられた方には朝起きたときにいつもお詫びの言葉を唱えています。『申し訳なかったからね、許してください』と」
「できることなら死んでお詫びしたい」と声を震わす母親。殺人事件を起こしたDを育てた親としての自身への罰なのだろうか。息子の社会復帰は諦めていると話す。 Dの母親とは2005年に再会した。母親によるとDは脳がスポンジ状になる病気になってしまったが、治療する費用がなく病気の進行を見守っているしかないと、疲れ切った様子だった。
私はDの病状がずっと気がかりだった。今回、約20年ぶりに母親に取材すると、Dは2021年5月、死亡したという。自宅で呼吸困難に陥り、救急車で運ばれたが、帰らぬ人となった。49歳だった。
Dの自宅近くの路地 去年12月撮影