富山のスタジオからも能登半島地震から1年がたった元日の姿をお伝えします。 去年の地震で富山県内は、最大震度5強を観測しました。 この地震によって液状化の被害が相次ぎました。 あれから1年、被害の大きかった地域では、住まいの再建や人口流出への対応が課題となっています。 【被災した氷見市姿地区にある寺で復興願う除夜の鐘】 能登半島地震で大きな被害を受けた富山県氷見市の姿地区にある寺では大みそかの31日夜、地区を離れた住民も集まって除夜の鐘を鳴らし、復興を祈りました。 氷見市の姿地区にある長福寺では昨夜11時ごろから、住職や住民など約20人が交代で除夜の鐘をつきました。 海沿いにあるこの地区は能登半島地震で建物が倒壊するなど大きな被害が出て、地震当時は津波警報が出たため住民たちは高台にあるこの寺に一時、避難しました。 その後は近くの集会所に自主避難所を設けて、炊き出しで支え合いながら1か月余りの避難生活を送るなどつながりの強い集落でしたが、区長によりますと地震で約4分の1にあたる16世帯が地区を離れたということで、地域コミュニティーの維持が課題となっています。 今回は区長などの呼びかけに応じて例年よりも多くの住民が訪れたということで、中には地区を離れた人の姿もあり、久しぶりの再会を喜んでいました。 そして住民たちは地域の復興を祈りながら、108回目の鐘の音とともに新年を迎えていました。 自宅が大規模半壊と認定され、地区を離れて新居で暮らす富田右子さん(73)は「『来年も来られますように』という思いで鐘をつき、楽しいひとときでした。地区の人たちが温かく迎えてくれてうれしかったです」と話していました。 区長の山本譲治さんは(65)「公費解体が進んで景観が変わり地区を離れた人も多くいますが、きょうはたくさんの人が来てくれてうれしかったです。復興を祈って、地区のみんなに聞こえるように力強く鐘をつきました」と話していました。 【氷見市 初日の出に復興願う住民の姿】 能登半島地震から1日で1年です。 地震で大きな被害を受けた氷見市の海岸では初日の出を拝もうと多くの人が訪れ、被災地の復興などを祈る姿も見られました。 能登半島地震で液状化などの被害が相次いだ氷見市北大町にある海沿いの比美乃江公園では午前7時すぎ雲の隙間から少しずつ太陽が姿を現しました。 まちは温かな日の光に照らされ、集まっていた家族連れなどが初日の出をじっくりと眺めたり、写真に収めたりするなどして、被災地の復興やことし1年の幸せを祈っていました。 氷見市の40代の夫婦は「自分の家は無事だったが実家が被災した。建設業をしているので被害にあった家を多く見てきた。多くの人にとって大変な1年だったと思うがもっと復興して活気を取り戻して欲しい」と話していました。 富山市の20代の女性は「初日の出を見ることができてとてもうれしいです。災害は他人事と思っていましたが、地震を経験したあとは防災グッズなどをそろえて備えた1年でした」と振り返りました。 また、氷見市に帰省中に地震にあった千葉県の40代の男性は「去年は元日に被災し、1年経ってここに来ましたが早かったようにも長かったようにも思えます。ことしは健康に元気に安全に暮らせたらと思います」と話していました。 【地震被害相次いだ高岡市伏木地区の神社 初詣で復興への祈り】 能登半島地震で液状化の被害が相次いだ富山県高岡市の伏木地区にある神社に地元の人が初詣に訪れ、1年の平穏や地域の復興を祈りました。 高岡市の伏木神社には元日の1日、多くの家族連れなどが初詣に訪れています。 高岡市の伏木地区では地震で液状化の被害が相次ぎ、この神社でも灯籠が倒れるなどの被害が出ました。 地元の人たちは手を合わせて、ことし1年の平穏や地域の復興を祈っていました。 三重県から帰省した30代の男性は「地震で実家が傾いたので、両親は別の場所で暮らしています。道路などまだ復旧が進んでいないところもあるので早く直ってほしいです」と話していました。 家族で訪れた50代の男性は「去年は大変な年でしたがことしは明るく過ごせる1年になってほしいと願いました」と話していました。 まもなくひ孫が誕生するという年配の女性は「健康に生まれてきてほしいと祈りました。そう遠い時期ではないと思いますが、元気な伏木に戻れるように、みんなで力を合わせて頑張っていきたいです」と話していました。 【氷見市の被災地にも年賀状 体調を気遣うメッセージも】 元日の1日、能登半島地震で液状化などの被害が相次いだ富山県氷見市では年賀状の配達が行われ、被災地にいまも暮らす人たちを気遣う内容などが書かれた年賀状が届いていました。 氷見市では能登半島地震による揺れや液状化の影響で、県内で最も多い6700棟余りの住宅に被害が出ました。 地元の氷見郵便局ではけさ、去年の6割程度となるあわせて約20万通の年賀状を積んだ24台のバイクが次々に出発していきました。 このうち、液状化で大きな被害が出た氷見市栄町の城光善夫さんの自宅にも(75)年賀状が届き、そのなかには「無理せず過ごしてください」など、被災地で今も暮らす城光さんや妻の体調を気遣う内容がつづられていました。 城光さんは半壊の判定を受けた自宅に今も暮らしていて、「ことしもこうやって年賀状が届くことはありがたいです」と話していました。 また同じく被害が相次いだ氷見市間島で自宅が一部損壊した中村巻子さん(73)はことしの年賀状に「今年は良い年になりますように」と書いたということで、年賀状を受け取った人が今年こそは安全で健康な1年であってほしいという願いを込めたということです。 また、中村さんの元には同級生などから年賀状が届き、「地震の被害は大丈夫でしたか」や「去年は大変な年でしたが去年分も含めていい年になりますように」など被害を心配する声や励ましの言葉が書かれていました。 中村さんは「離れていても気づかうメッセージがもらえてうれしいです。年賀状に書かれているようにことしは災害がなく、平穏に過ごしたいと心から思います」と話していました。 配達にあたった島田勇人配達員は「年賀状を見て、離れていても繋がっていることを感じてもらいたい」と話していました。 【被災夫婦 長男夫婦や孫帰省せず 2人だけの正月】 能登半島地震で被災し市営住宅に移り住んだ富山県氷見市の70代夫婦は、例年は市外で暮らす長男夫婦と孫が正月に訪ねてきましたが、ことしは地震の影響で帰省を取りやめたことから、2人だけの正月となりました。 液状化の被害が相次いだ氷見市の新道地区に住んでいた前田明さん(76)と妻の前田純子さん(72)は、自宅が傾くなどして半壊と認定され、いまは市営住宅で暮らしています。 例年は隣の高岡市に住む長男夫婦と孫2人が正月に訪ねて来ましたが、ことしは、地震のあと妻の純子さんの体調がすぐれず、長男は負担をかけたくないと帰省を取りやめたことから、2人だけの正月となりました。 2人は長男から送られてきたおせちを食べて静かな正月を過ごしていて、孫たちから純子さんのスマートフォンのLINEで「ばあちゃん、あけましておめでとう」と新年のメッセージが届くと、うれしそうに画面を見つめていました。 前田明さんは「今まで生きてきてこんなに忙しい1年はなかった。元の家で正月を過ごしたかったが、こういう形で正月を過ごすのもしかたがない。夫婦で健康に過ごせることを願うだけです」と話していました。 前田純子さんは「地震のあとうまく歩けなくなり悲しいです。孫に会えなくてさみしいですがメッセージが来たのでうれしい。これからも孫たちの成長を見守るのが楽しみです」と話していました。 自宅は公費解体される予定で、再建には多額の費用がかかり年金生活でまかなうのは難しいことから、前田さんは地区には戻らず、今後も市営住宅に住み続けたいとしています。 氷見市の新道地区では地区を離れる人が相次いでいて、住民の団体によりますと12月時点で約4割の住民が転居したり、転居を検討したりしているということで、地域コミュニティーの維持が課題です。 【地震からの復興を願う 射水市の神社で鰤分け神事】 能登半島地震で被害を受けた富山県射水市にある神社で、伝統の「鰤分け神事」が行われ、地元の氏子たちが地域の復興などを祈りました。 「鰤分け神事」は富山県射水市の加茂神社に平安時代から続くと伝えられている行事で、成長するにつれ名前が変わる出世魚のブリにあやかって家の繁栄や家内安全、無病息災などを願います。 拝殿に富山湾で水揚げされた塩ブリ6本が並べられると宮司の祝詞に合わせて氏子の代表がブリを掲げ、奉納した地区の名前を読み上げ、各家庭に届けるため切り分けられていました。 能登半島地震で射水市では大きな被害が出てこの神社でも灯籠などが壊れたということで、ことしの神事では地域の復興も祈願されました。 宮司の野上克裕さんは「神様が住むこの神社の復旧を進めてきました。富山や石川の少しでも早い復旧復興を祈願します」と話していました。